2008年02月12日
悩むことは最高
2007年03月13日
最も大切なことを最も大切にできている人が少ないのは、なぜ?
こんにちは!
今日は休日。
ゆったりとコーヒーを飲んで、
倖田來未のバラードベストを聞きながら、更新しています。
さて下記は、以前このブログでも紹介した「鏡の法則」の著者 野口嘉則氏がメルマガで載せていたものです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
一昨日、次のようなご質問をいただきました。
ちょっと長めのご質問ですが、そのまま掲載します。
「神奈川で経営コンサルタントをやっています(匿名希望)といいます。
私は以前、ある経営コンサルティング会社に勤め、そこでコンサルタン
トをやっていたのですが、6年前に独立しました。
その後、クライアントも順調に獲得し、年収も1500万円を超えました。
また、私も野口さんのようにメルマガとブログを書いており、おかげさ
まで読者も増えてきました。
昨年は著書も出版し、講演の依頼もずいぶん増えました。
このように、ビジネスはとても順調に伸びているのですが、仕事に追わ
れる毎日です。
2冊目の本の出版の話もいただいているのですが、執筆のための時間
を作り出せそうになくて困っています。
そんな時、先日の野口さんのブログを読んでいて、ハッとさせられたの
です。
4月に入ってから、お昼は毎日のように、ご家族と桜のあるところに、
お弁当を食べに行かれているとのこと。
それを読んでドキッとしたのです。
私が目指している生活は、そんなゆとりある生活だったことを思い出し
ました。
私が独立した一番の理由は、自由な時間が欲しかったからです。
コンサルタント会社に勤めていたころは、残業も多く、休日出勤する日
もありました。
子どもの運動会に行けなかった年もありました。
『独立したら、もっと自由な時間を作り出せる』と考え、不安はありま
したが、思い切って独立したのです。
その後、がむしゃらに頑張ったおかげで、ビジネスは順調に伸びてきた
のですが、気づいたら、勤めていた時以上に忙しい毎日です。
今月も、土日はすべて講演とセミナーの講師の予定で埋まっています。
家族で桜の花を見に行くという発想すら起きませんでした。
これでは、何のために独立したのか・・・
本当は、家族といっしょに過ごす時間がもっと欲しいのです。
さらに、2冊目の本も書きたいし、メルガマとブログの読者ももっと増
やしたいです。
どうやってその時間を作り出したらいいのか、ヒントがあったら教えて
下さい」
というご質問でした。
実は、私も一昨年までは、同じように忙しい生活をしていました(^_^;
休日返上で仕事をしていました。
仕事自体がとても楽しかったので、ストレスはありませんでしたが
しかし、仕事のスケジュールが埋まっていて、私にとって一番大切なこ
とに使う時間がなかったのです。
私にとって一番大切なこととは何かを話す前に、一つのお話を紹介しま
すね。
----------------------------------------------------------------
ある大学の授業で、教授がおもむろに大きなガラスの花瓶を卓上に出し
た。
そして、その花瓶の中に無言でゴルフボールを入れていき、花瓶をいっ
ぱいにした。
教授は学生に尋ねた、「この花瓶は、いっぱいか?」
学生たちは、うなずいた。
次に教授は小石がたくさん入ったバケツを卓上に出し、花瓶の中に小石
を入れ始めた。
小石を入れては軽く花瓶を振ると、小石はゴルフボールの中の隙間に流
れ込んでいった。
やがて小石はいっぱいになった。
教授は尋ねた、「さて、この花瓶の中はいっぱいか?」
一人の学生が、「たぶん違うでしょう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、砂袋を取り出し、花瓶の中に砂を全部流し込
んだ。
砂はゴルフボールと小石の隙間をぎっしりと埋めた。
教授が「これでいっぱいになったか?」と尋ねると、学生たちは声をそ
ろえて「いいえ」と答えた。
最後に教授は、水を花瓶に注ぎ込んだ。
水は見る見るうちに砂の中に流れ込んでいった。
「さて・・・」教授は花瓶を見ながら話し始めた。
「この花瓶はあなたたちの人生です。
ゴルフボールは『人生の中で最も大切なこと』を意味します。
いいですか、ゴルフボールを先に入れないかぎり、それが入る余地は、
その後二度とないんです。
砂や水でいっぱいになっている花瓶に、あとからゴルフボールを入れる
スペースは無いんです。
あなたにとってのゴルフボールは何ですか?
たとえこのゴルフボール以外のすべてを失っても、それでも
『自分の人生は十分に幸せだった』と思えるものです。
家族、愛する人、志、・・・。そういった人生で最も重要なことです。
そのゴルフボールを最初に花瓶に入れなさい。
さもないと、あなた達は、それを永遠に失うことになる。
失ってからでは後悔のしようもない。
次に入れるのは小石です。
これは、ゴルフボールの次に重要なもの。
あとの砂はそれ以外の日常的なことです。
多くの人が、最初に砂で花瓶をいっぱいにし、小石やゴルフボールを
人生で失っています。」
匿名希望さん、ご参考になりましたか?
まずは、あなたにとってのゴルフボールは何かを明確にし、その時間を
確保してしまうことが大切だと思います。
そして、次に小石は何かを明確にし、その時間を確保する。
確保するということは、それ以外の予定を入れないということですね。
私の場合、ゴルフボールに当たるのは、家族と過ごす時間です。
いっしょにご飯を食べたり、ゆっくり話をしたり、とりとめのない話題
で雑談をしたり、いっしょに遊びに行ったり、相談にのり合ったり・・・
これが一番大切な時間です。
次に重要な小石に当たるものは2つあります。
1つは、自分が興味を感じることについて“学ぶ”時間です。
本を読んだり、勉強会や講座やセミナーに参加する時間です。
特に私は、読みたい本が常にたくさんあります(^_^;
もう1つは、学んだことをアウトプットして、世の中に還元するための
時間です。
具体的には、ブログやメルマガを書く時間です。
(今、その真っ最中です(^_^)
昨年の秋から、本を書く時間もこれに加わっています。
この「学ぶ時間」と「アウトプットする(書く)時間」は、私にとって
大好きで幸せで大切な時間なのです、
「何が一番大切か」は、人によって違うと思います。
あなたにとってのゴルフボールや小石を明確にしてくださいね。
また、私の場合、自由業なので、比較的時間のコントロールがしやすい
のですが、
読者さんの中にはいろいろなお仕事の方がおられ、私以上に工夫を要す
る方もたくさんおられると思います。
大切なことは、「一番大切なことを一番大切にする」という決意だと思
います。
その決意から、あなたに合った工夫やアイデアが生まれてくるはずです。
それから、もう一つ。
ご参考になるかどうかわかりませんが、ケン・ブランチャードの言葉を
紹介します。
私にとって、とても印象的だった言葉です。
「人生を終える時に、
『もっと稼いでおけばよかった。もっと頑張って働いていたらよかった』
と悔やんだ人を見たことがないが、
『もっと多くの時間を家族と笑って過ごせばよかった』
と悔やんだ人をたくさん知っている」
今日は休日。

倖田來未のバラードベストを聞きながら、更新しています。
さて下記は、以前このブログでも紹介した「鏡の法則」の著者 野口嘉則氏がメルマガで載せていたものです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
一昨日、次のようなご質問をいただきました。
ちょっと長めのご質問ですが、そのまま掲載します。
「神奈川で経営コンサルタントをやっています(匿名希望)といいます。
私は以前、ある経営コンサルティング会社に勤め、そこでコンサルタン
トをやっていたのですが、6年前に独立しました。
その後、クライアントも順調に獲得し、年収も1500万円を超えました。
また、私も野口さんのようにメルマガとブログを書いており、おかげさ
まで読者も増えてきました。
昨年は著書も出版し、講演の依頼もずいぶん増えました。
このように、ビジネスはとても順調に伸びているのですが、仕事に追わ
れる毎日です。
2冊目の本の出版の話もいただいているのですが、執筆のための時間
を作り出せそうになくて困っています。
そんな時、先日の野口さんのブログを読んでいて、ハッとさせられたの
です。
4月に入ってから、お昼は毎日のように、ご家族と桜のあるところに、
お弁当を食べに行かれているとのこと。
それを読んでドキッとしたのです。
私が目指している生活は、そんなゆとりある生活だったことを思い出し
ました。
私が独立した一番の理由は、自由な時間が欲しかったからです。
コンサルタント会社に勤めていたころは、残業も多く、休日出勤する日
もありました。
子どもの運動会に行けなかった年もありました。
『独立したら、もっと自由な時間を作り出せる』と考え、不安はありま
したが、思い切って独立したのです。
その後、がむしゃらに頑張ったおかげで、ビジネスは順調に伸びてきた
のですが、気づいたら、勤めていた時以上に忙しい毎日です。
今月も、土日はすべて講演とセミナーの講師の予定で埋まっています。
家族で桜の花を見に行くという発想すら起きませんでした。
これでは、何のために独立したのか・・・
本当は、家族といっしょに過ごす時間がもっと欲しいのです。
さらに、2冊目の本も書きたいし、メルガマとブログの読者ももっと増
やしたいです。
どうやってその時間を作り出したらいいのか、ヒントがあったら教えて
下さい」
というご質問でした。
実は、私も一昨年までは、同じように忙しい生活をしていました(^_^;
休日返上で仕事をしていました。
仕事自体がとても楽しかったので、ストレスはありませんでしたが
しかし、仕事のスケジュールが埋まっていて、私にとって一番大切なこ
とに使う時間がなかったのです。
私にとって一番大切なこととは何かを話す前に、一つのお話を紹介しま
すね。
----------------------------------------------------------------
ある大学の授業で、教授がおもむろに大きなガラスの花瓶を卓上に出し
た。
そして、その花瓶の中に無言でゴルフボールを入れていき、花瓶をいっ
ぱいにした。
教授は学生に尋ねた、「この花瓶は、いっぱいか?」
学生たちは、うなずいた。
次に教授は小石がたくさん入ったバケツを卓上に出し、花瓶の中に小石
を入れ始めた。
小石を入れては軽く花瓶を振ると、小石はゴルフボールの中の隙間に流
れ込んでいった。
やがて小石はいっぱいになった。
教授は尋ねた、「さて、この花瓶の中はいっぱいか?」
一人の学生が、「たぶん違うでしょう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、砂袋を取り出し、花瓶の中に砂を全部流し込
んだ。
砂はゴルフボールと小石の隙間をぎっしりと埋めた。
教授が「これでいっぱいになったか?」と尋ねると、学生たちは声をそ
ろえて「いいえ」と答えた。
最後に教授は、水を花瓶に注ぎ込んだ。
水は見る見るうちに砂の中に流れ込んでいった。
「さて・・・」教授は花瓶を見ながら話し始めた。
「この花瓶はあなたたちの人生です。
ゴルフボールは『人生の中で最も大切なこと』を意味します。
いいですか、ゴルフボールを先に入れないかぎり、それが入る余地は、
その後二度とないんです。
砂や水でいっぱいになっている花瓶に、あとからゴルフボールを入れる
スペースは無いんです。
あなたにとってのゴルフボールは何ですか?
たとえこのゴルフボール以外のすべてを失っても、それでも
『自分の人生は十分に幸せだった』と思えるものです。
家族、愛する人、志、・・・。そういった人生で最も重要なことです。
そのゴルフボールを最初に花瓶に入れなさい。
さもないと、あなた達は、それを永遠に失うことになる。
失ってからでは後悔のしようもない。
次に入れるのは小石です。
これは、ゴルフボールの次に重要なもの。
あとの砂はそれ以外の日常的なことです。
多くの人が、最初に砂で花瓶をいっぱいにし、小石やゴルフボールを
人生で失っています。」
匿名希望さん、ご参考になりましたか?
まずは、あなたにとってのゴルフボールは何かを明確にし、その時間を
確保してしまうことが大切だと思います。
そして、次に小石は何かを明確にし、その時間を確保する。
確保するということは、それ以外の予定を入れないということですね。
私の場合、ゴルフボールに当たるのは、家族と過ごす時間です。
いっしょにご飯を食べたり、ゆっくり話をしたり、とりとめのない話題
で雑談をしたり、いっしょに遊びに行ったり、相談にのり合ったり・・・
これが一番大切な時間です。
次に重要な小石に当たるものは2つあります。
1つは、自分が興味を感じることについて“学ぶ”時間です。
本を読んだり、勉強会や講座やセミナーに参加する時間です。
特に私は、読みたい本が常にたくさんあります(^_^;
もう1つは、学んだことをアウトプットして、世の中に還元するための
時間です。
具体的には、ブログやメルマガを書く時間です。
(今、その真っ最中です(^_^)
昨年の秋から、本を書く時間もこれに加わっています。
この「学ぶ時間」と「アウトプットする(書く)時間」は、私にとって
大好きで幸せで大切な時間なのです、
「何が一番大切か」は、人によって違うと思います。
あなたにとってのゴルフボールや小石を明確にしてくださいね。
また、私の場合、自由業なので、比較的時間のコントロールがしやすい
のですが、
読者さんの中にはいろいろなお仕事の方がおられ、私以上に工夫を要す
る方もたくさんおられると思います。
大切なことは、「一番大切なことを一番大切にする」という決意だと思
います。
その決意から、あなたに合った工夫やアイデアが生まれてくるはずです。
それから、もう一つ。
ご参考になるかどうかわかりませんが、ケン・ブランチャードの言葉を
紹介します。
私にとって、とても印象的だった言葉です。
「人生を終える時に、
『もっと稼いでおけばよかった。もっと頑張って働いていたらよかった』
と悔やんだ人を見たことがないが、
『もっと多くの時間を家族と笑って過ごせばよかった』
と悔やんだ人をたくさん知っている」
2006年10月06日
大リーガー感動物語
ピートグレイさんは、1917年、ペンシルベニア州、ナンティーコークというところで生まれました。彼は機関車と野球が好きな普通の少年でした。ある日、父親に連れられて、大リーグの試合を見に行きます。ニューヨークヤンキースが大好きだった彼。ヤンキースタジアムで見たその試合。ヤンキースの攻撃、9回裏、2アウトランナー1塁、1対 0、ヤンキースが負けていました。少年ピートは、隣にいるお父さんにいいました。「パパ見てて、僕の大好きなあのバッターが必ずホームランを打って、さよなら勝ちするからね、きっと見てて、勝てるよ」と、お父さんはニコニコしながら彼を見てました。
果たして結果はどうなったか。
運命のいたずらとは恐ろしいですね。ピートの予言通りに、本当にさよならホームランがでたんです。ヤンキースは見事、さよなら勝ちをしました。その試合を見たピートは感動しました。そして、この日から大リーガーになることを夢見て、努力を始めました。
大リーグの世界、知ってびっくり。下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」やっと大リーグになるんです。彼は大リーグを目指して、それはもう「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。
6才の時ある事故により、野球を断念しようと思いました。その時お父さんが、彼にかけた言葉、それが「諦めるな、やればできる」でした。ピートは、お父さんのその言葉だけを、胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。
草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえませんでした。しかし彼は不平をいわず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習しました。そして、そのかたわら。野球学校へ通いました。野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けました。 どうなったか? ピートはことごとく、入団テストに堕ちてしまったのです。そして、ピートはどうしたか? 諦めませんでした。お父さんの言葉通り、諦めませんでした。そして、雨の日も風の日も、黙々と練習を、続ける彼の姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました。先生は、全米のDリーグの監督に電話をかけました。「うちにピートという、熱いやつがいる、見に来てくれないか、お願いします。」その電話に触発され、Dリーグの監督が集まってきました。
そしてピートの晴れ舞台です。そこでピートは全力でプレーを見せました。 どうなったか?どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。
ピートはどうしたのか?打ちひしがれたのか?いいえ、それでもピートはめげませんでした。一途に努力する彼。当然、幸運の女神が見はなすはずはないんですよね。24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、「ブッシュウイックス」から声がかかりました。彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」喜んで入団しました。
そして、そこで、素晴らしい成績を残しました。こういう活躍を見てるひとがいるんですよね。その活躍を見ていた、マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が大抜擢します。そして、何とピートはこの「スリーリバース」で打率3.81。素晴らしい成績を残します。
このような相次ぐ大抜擢にも、全くおごること無く、努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。1943年、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格、そして彼は、ついにこのチームでMVPを獲得しました(打率333、盗塁68)
そして、ついに夢の叶う時がやってきました。1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」がピートの採用を決定しました。
そしてピートの初打席です。 彼は大きく息きをすって、バッターボックスに入りました。
1球目、空振り、2球目、空振り、3球目、空振三振とピートの初打席は、三振に終わりました。 でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。
おかしいですよね。三振して拍手なんてあり得ないですよね。その球場の観客達は、そのピートの姿に、釘付けに、されていました。
実は彼は、6才の時の事故で、右腕を根元から切断されていました

大好きな機関車を見に行って、その下敷きになったんです。泣きじゃくるピート。6才にして、片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉が、それが「諦めるな」だっだのです。お父さんはこう言いいました。
「あの時、もしも、彼から、野球という夢まで奪ってしまえば、もう、彼には何も残らない。「諦めるな」と言うしか、他になかったと。そしてその言葉だけを、信じ、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない。ずーと入団テストに、堕ち続けた、その苦い、思いを乗り越え、営々と、努力し続けた彼、その偉大な三振に。観客は惜しみない拍手を送りました。
でも彼が大リーグに採用されたのは、時が遅かったんです。寄る年並には勝てず、かれは、1年で、その生活にピリオドを打ちます。そして故郷に帰り、少年野球の指導をし、87才で生涯を閉じます。彼が亡くなる前、我々に残した言葉があります。この言葉で締めくくりたいとおもいます。
「私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、もっとも素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような、体に生涯をもつ者にとって、練習こそが全てでした。
でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。
ある時こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。
最後に好きな言葉を送ります。」
『勝者は決して諦めない。』
ピートグレイ
果たして結果はどうなったか。
運命のいたずらとは恐ろしいですね。ピートの予言通りに、本当にさよならホームランがでたんです。ヤンキースは見事、さよなら勝ちをしました。その試合を見たピートは感動しました。そして、この日から大リーガーになることを夢見て、努力を始めました。
大リーグの世界、知ってびっくり。下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」やっと大リーグになるんです。彼は大リーグを目指して、それはもう「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。
6才の時ある事故により、野球を断念しようと思いました。その時お父さんが、彼にかけた言葉、それが「諦めるな、やればできる」でした。ピートは、お父さんのその言葉だけを、胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。
草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえませんでした。しかし彼は不平をいわず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習しました。そして、そのかたわら。野球学校へ通いました。野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けました。 どうなったか? ピートはことごとく、入団テストに堕ちてしまったのです。そして、ピートはどうしたか? 諦めませんでした。お父さんの言葉通り、諦めませんでした。そして、雨の日も風の日も、黙々と練習を、続ける彼の姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました。先生は、全米のDリーグの監督に電話をかけました。「うちにピートという、熱いやつがいる、見に来てくれないか、お願いします。」その電話に触発され、Dリーグの監督が集まってきました。
そしてピートの晴れ舞台です。そこでピートは全力でプレーを見せました。 どうなったか?どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。
ピートはどうしたのか?打ちひしがれたのか?いいえ、それでもピートはめげませんでした。一途に努力する彼。当然、幸運の女神が見はなすはずはないんですよね。24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、「ブッシュウイックス」から声がかかりました。彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」喜んで入団しました。
そして、そこで、素晴らしい成績を残しました。こういう活躍を見てるひとがいるんですよね。その活躍を見ていた、マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が大抜擢します。そして、何とピートはこの「スリーリバース」で打率3.81。素晴らしい成績を残します。
このような相次ぐ大抜擢にも、全くおごること無く、努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。1943年、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格、そして彼は、ついにこのチームでMVPを獲得しました(打率333、盗塁68)
そして、ついに夢の叶う時がやってきました。1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」がピートの採用を決定しました。
そしてピートの初打席です。 彼は大きく息きをすって、バッターボックスに入りました。
1球目、空振り、2球目、空振り、3球目、空振三振とピートの初打席は、三振に終わりました。 でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。
おかしいですよね。三振して拍手なんてあり得ないですよね。その球場の観客達は、そのピートの姿に、釘付けに、されていました。
実は彼は、6才の時の事故で、右腕を根元から切断されていました

大好きな機関車を見に行って、その下敷きになったんです。泣きじゃくるピート。6才にして、片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉が、それが「諦めるな」だっだのです。お父さんはこう言いいました。
「あの時、もしも、彼から、野球という夢まで奪ってしまえば、もう、彼には何も残らない。「諦めるな」と言うしか、他になかったと。そしてその言葉だけを、信じ、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない。ずーと入団テストに、堕ち続けた、その苦い、思いを乗り越え、営々と、努力し続けた彼、その偉大な三振に。観客は惜しみない拍手を送りました。
でも彼が大リーグに採用されたのは、時が遅かったんです。寄る年並には勝てず、かれは、1年で、その生活にピリオドを打ちます。そして故郷に帰り、少年野球の指導をし、87才で生涯を閉じます。彼が亡くなる前、我々に残した言葉があります。この言葉で締めくくりたいとおもいます。
「私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、もっとも素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような、体に生涯をもつ者にとって、練習こそが全てでした。
でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。
ある時こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。
最後に好きな言葉を送ります。」
『勝者は決して諦めない。』
ピートグレイ
2006年08月16日
ポエム
友人からこんなポエムが送られてきました。
この地球を愛する、すべての人に贈る。
どんなに空が暗くても、どんなに道が険しくても、あきらめることはない。
僕らには想像力がある。
僕らにはひらめきがある。
僕らには行動力がある。そして・・・あきらめないという最強の武器を持っている。
どんなに空が暗くても、僕らは僕らの誇りの虹をかけてゆこう。
この地球を愛する、すべての人に贈る。
どんなに空が暗くても、どんなに道が険しくても、あきらめることはない。
僕らには想像力がある。
僕らにはひらめきがある。
僕らには行動力がある。そして・・・あきらめないという最強の武器を持っている。
どんなに空が暗くても、僕らは僕らの誇りの虹をかけてゆこう。
2006年08月11日
人生のどんな問題も解決する知恵~鏡の法則~
この文章はある方のブログに掲載されていたものです。
この記事には驚くほどの反響があったそうです。
その記事とは、息子さんがいじめられて悩む主婦A子さんと、不思議なコンサルタントB氏のお話です。
実話にもとづくお話。
A子さんはB氏のサポートを得て、最大の悩みを解決するばかりか、人生で未完了だった問題(宿題)に気づき、人間的に大きく成長されます。
このストーリーに感動し、優しくなられた方々が私の周りに多数おられます。
皆様に少しでも幸せの輪が広がりますように! と、お祈りしつつ、このストーリーをお届け致します
続きはここをクリック
この記事には驚くほどの反響があったそうです。
その記事とは、息子さんがいじめられて悩む主婦A子さんと、不思議なコンサルタントB氏のお話です。
実話にもとづくお話。
A子さんはB氏のサポートを得て、最大の悩みを解決するばかりか、人生で未完了だった問題(宿題)に気づき、人間的に大きく成長されます。
このストーリーに感動し、優しくなられた方々が私の周りに多数おられます。
皆様に少しでも幸せの輪が広がりますように! と、お祈りしつつ、このストーリーをお届け致します
続きはここをクリック
2006年07月30日
やってやれないことはない、道はいつも無限である
よく商売人が商売には浮き沈みがあるというんや。これは間違いで、商売というものは本来浮き沈みがない。
浮き沈みしているのは、商売している人の心が浮き沈みしているんや。商売というのは、真理に従う限り、永遠に発展していくもんや。
その真理とは、本当に自分のやっている仕事が社会の役に立ち、そして、本当に喜びをもって受け入れられているというふうにして、働いている限りは、必ずうまくいく。これが真理というもんや。
そういうものをしっかりと信じて歩まなければ、本当の意味で力強い仕事ができない。
商売には、はやりすたりがあるんやという考え方がすでに間違っている。
松下幸之助
浮き沈みしているのは、商売している人の心が浮き沈みしているんや。商売というのは、真理に従う限り、永遠に発展していくもんや。
その真理とは、本当に自分のやっている仕事が社会の役に立ち、そして、本当に喜びをもって受け入れられているというふうにして、働いている限りは、必ずうまくいく。これが真理というもんや。
そういうものをしっかりと信じて歩まなければ、本当の意味で力強い仕事ができない。
商売には、はやりすたりがあるんやという考え方がすでに間違っている。
松下幸之助






